体験的情報化の変遷(3)
2008年5月 5日 11:51
「株価情報はもういらないよ」とアメリカの機関投資家のお客に言われてショックを受けたのですが、それでも、そのころはマーケットの概況や主なニュースについては早朝に電話をすると聞いてくれました。特に、薬品関係やハイテク関係のニュースなど、短時間で英語の単語を調べて相手に伝えるのは大変でしたが、英語の勉強にはずいぶんなりました。しかし、それもまた、ある時、「いらないよ」ということになってしまいました。日本のマーケットの詳しい状況や、主なニュースが英語でロイターズなどで即座に見ることができるようになったのです。そのお客からは、「これからはニュースはいらない。そのニュースをどう評価するか、君の意見が聞きたい」と言われました。
株価を伝えるという仕事は結構、メリットがあったのです。なぜなら、相手がどんな銘柄に興味があるかわかるからです。しかし、それがなくなってしまったわけです。そこで、「これからはあなたの興味のありそうな銘柄についてきちんと分析をしてあげるから、銘柄リストを教えてくれ」と話し、ついにそのリストをもらいました。全部で50銘柄ぐらいあったと思います。
ちょうど私はそのころアメリカの証券アナリスト資格、CFAの勉強をしていました。そこで、それらの銘柄をCFA受験プログラムで教えているような方法で分析しお客に提供しはじめたのです。それは私にとってもCFA受験勉強にもなったのです。銘柄数も多く、50銘柄を半期ごとに、しかも、連結と単体の両方の数値をアレンジしなおして分析したので、ほとんど週末はすべてその作業につぶれてしまう状態でした。しかし、このサービスは非常に喜ばれました。日本の株式をアメリカ流の手法で分析するというのは当時、あまり行われていなかったのです。アメリカのアナリスト連中とも、日本株の話をするときにようやく、「共通の言語」で話ができるようになりました。
毎日、毎日、数字を見て、それを加工していると、だんだん、数字が物語を語ってくれるようになります。時系列の財務比率などをみていると「あれ?」と思う数値がある。その原因を探っていくとまた別の要因が見つかる。こうして数字から、その企業で何が起こっているかを感じ取ることができるようになったと思います。
年に何回かは、お客と日本を訪問して企業を直接訪問しました。財務指標をさんざん見て、その背景を自分なりに類推しているので、面談によりそれを確認することができるのです。工場など生産現場もよく見せてもらいました。工場での製品の流れの速さが前回、見たときと比べて遅くなっている。そのような時は、経営陣がどんな強気の発言をしてもちょっと注意が必要です。また、受付の態度や、会社全体の雰囲気など数値では得られない貴重な情報を得ることができました。
その後、1984年に東京に転勤になり、情報部という投資戦略を策定する部門でチーフ・アナリスト兼ストラテジストという仕事につきました。私の担当した部門の仲間に私の手法を教え、組織としてきちんとしたレポートを発行するようになったのです。ちょうどバブルが始まりかけていた1980年代の中頃でした。
